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minami

どうしていいかわからない蛹


朝、遊具に誰もいない時間をねらって大きい公園に行く。花壇を整備している方や早朝散歩の方が多かった。マスクをしていない人も増えている。そりゃみんな秋風をめいっぱい吸い込みたいよね。


計画表によると10時からはうさぎちゃんごっこ。

掃き出し窓からたっぷり入り込む日差しはあたたかいし、昨日の残りの麻婆豆腐にマロニーちゃんを入れたらおいしかったし、今日締め切りの原稿はすでに昨日仕上げてある。美しい秋の日であることは疑いようもないのに、なぜかどんどん気持ちが塞ぎ込んでいく。


人と会えていないというのも大きいだろう。風通しが悪い。

整理できていない気持ちもたくさんある。

言葉にして詳らかにしたいのに、どの言葉もしっくりこないし、すばらしいと思っているものさえダサくなってしまいそうでこわい。

でも、蛹の中身はどろどろらしいので、羽ばたく前の混沌かもしれないと思えばこの不調も悪くない。


鶏むね肉の賞味期限が1日切れている。冷凍庫に入れようとして、やっぱり今鶏ハムにしちゃおう、と鍋に入れる。むね肉は冷凍してしまうともうどうしていいかわからない。凍る前なら、低温調理とか片栗粉をまぶすとか揚げるとか、パサパサを防ぐ方法はいくつかあるのに。すでに冷凍庫には先客のどうしていいかわからないむね肉が1枚ねむっている。


今夜の読書はこちら。

「いつか、ここに、遠くに、存在した誰か。言葉によって、わたしたちは出会える。」という帯の文もいい。届けられた日記や手紙、そして時を越えて編まれた本によって紡がれた、ある尊い出会いが自然と思い浮かぶ。



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