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みるく世を創るのは

昨日は沖縄「慰霊の日」。

16歳の時、沖縄の友人ができた。

「6月23日が何の日か、ナイチャーは知らない」と、彼女は驚いていた。私も彼女に出会うまで、知らなかった。

翌年、彼女と数人のナイチャーと集まって、慰霊の日に多摩川の河川敷でキャンドルを灯した。

今年はマーシャルで日本兵の家族写真を拾い、沖縄戦で命を落とした米海軍兵・ハリーさんの顔が浮かんだ。ハリーさんを知ったのは、つい二ヶ月前。


今日も朝からみぞおちの上が痛い。午後から肋骨まわりにも電流が走るような痛みが広がる。身体も五輪開幕を拒否している。


退勤後、次の打ち合わせまでサイゼリヤで映画のキャッチコピーと展覧会のテキストを考える。息抜きに、職場の初代センター長をつとめた石井米雄著「道は、ひらける タイ研究の五〇年」(めこん、2003年)を読む。面白くて読みやすいから一気に読んでしまいたくなるけれど、どのページもすぐには消化できない/したくないエピソードばかり。じっくりと味わいながらページをめくる。

1946年8月、サイパン島の玉砕部隊で戦死して遺骨が届けられた長兄が、ひょっこり帰ってくる。三回忌を済ませたばかりの兄に、足があるからみんなでびっくりする。翌年の秋には、シベリア抑留されていた次兄が痩せ衰えて帰国する。著者はテレビという「絵の出るラジオ」を作りたくて、早稲田の理工学部を目指していたはずが、いつしか言語学への道へ分け入り、「すべてがタイに始まり、タイに終わる」と振り返る人生を歩む。その道中が実にドラマチック。人との出会いを大切に生きた著者は、いばらの道をぐんぐんとひらいていく。2021年6月世界のニュースに淀む気持ちも、晴れやかになる。

戦争に負けて10年たらずの1953年の日本は、外貨の制限がきびしく、特別な仕事でない限り外貨の割り当てがもらえず、海外旅行などは夢のまた夢。著者が初めてタイを訪れた1957年。「日本で自家用車は生産されているのか」と聞かれて「してるとも」とはとても言えない時代だった。当時の日本車は、80キロも出そうものなら、ハンドルはガタガタで身の危険を感じたという。


あとがきによると「これから人生をスタートしようとしている若者が読んでくれる本を作りたい」と出版社が希望して作った本とある。版元は職場からすぐ近くの場所にある。読み終わったら、訪ねてみたいと密かに思っている。


上原美春さんの平和の詩「みるく世の謳」を読む。

「祖母も戦後生まれで、沖縄戦のことを体験者から聞いたことはない。」と書かれた記事を読んで驚く。「目の前の問題から、世界の平和につなげていきたい」と願う気持ちから、詩はうまれた。


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