12/5(日)
朝10時。渋谷の道玄坂で花壇に花を植える人、ゴミ袋を突くカラスとすれ違う。ラブホ街を抜けて、ユーロスペースへ。東京国際ろう映画祭で飯山由貴監督作品『オールドロングステイ』を観る。昨日、映画祭ディレクターのコメント動画を観て、去年ヨコハマトリエンナーレで一部立ち見した作品だと気づき慌ててチケットを予約した。監督は同じ88年生まれ。
西陣織には職業差別がなかったから、ろう者が手に職を得る仕事の一つになったこと。
マッカーサー草案にあった外国人の権利が、日本国憲法では消され、主語が「国民」に変わったこと。(在特会の種は、日本国憲法誕生前からあった)
戦後、矢内原忠雄が植民地の被統治者が置かれた状況について書いたり語った記録がほぼ見当たらないこと。
知らなかったことづくしの170分の中でも、とくに憶えておきたいことたち。
14時半。高田馬場駅から西武新宿線の線路を越えて、「金井工芸 分室」展へ。
ヒカゲヘゴの幹の模様…。黒色は80〜100回染め直してうまれる。大島紬の絣ムシロは、キメジに似た竹の繊維で編まれていた。漂着した軽石が展示作品の重石に。3月までに行きたい、奄美大島。
17時半。馬喰横山で薫ちゃんのリサーチと展示を見る。
大きい羊と書いて、美。切り絵の曲線にうっとり。壁に架けられた1964年のパラシュートを眺め、天井から開く2000年のパラシュートに眺められる。
1964年のオリンピックで、第一走者を務めたのは当時日本ではない沖縄出身のランナーだった。最終走者は、広島で45年8月6日に生まれたランナー。沖縄の走者は、今なお当時の映像を毎日見る。広島の走者は、複雑な思いを抱えていた。ということを夏にオリンピックの本を刊行した岡田さんの解説で知る。
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