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shiori

光を集める

この世界にうまれ落ち、さよならに向かって毎日を生きている。

そのことを意識して書かれた日記もあれば、毎日が永遠に続くように書かれた日記もある。

私が最初に日記を書き始めたのは、5歳か6歳だった。当時ひとりっこだった私は、幼稚園から帰ってきて、母が夕食の支度をしている間の時間がとても長く感じられた。

テレビをつけると、貴乃花が毎日試合をしていた。私は貴乃花の試合をリビングで熱狂的にいつも応援していた。試合が終わると、感慨に浸りながら今日の勝敗と貴乃花へのエール、労いの言葉を日記に綴った。貴乃花に読まれることはない。それでも、だからこそ真剣に書いていた。幼稚園での出来事と、貴乃花の試合が中心の、ある幼稚園生の日記。それは転勤と弟の誕生によって途絶えた。今日のような明日がくると信じて、日々を記録した日記。


昨年の3月からまた日記を書くようになった。今度はさよならを意識した日記だった。でも長くは続かなかった。面倒くささに負けた。日記を書く時間があるならやらなければいけないと思うことがあった。優先度を低くさせてしまい、続けて書かなかったことを今とても後悔している。

昨年と今年、状況はたいして変わっていないのに、心持ちが違う局面が多い。今年はみなみを巻き込んで、毎日の交換日記が続いている。みなみの日記を読むと、日常を見つめるレンズが変わる。


通勤中、銀座線の車内で「今日から短い映像日記をやる」とみなみからメッセージを受け取る。次作は日記映画。企画誕生から1年半が経つ。私はこれまで撮りためた素材を見返すねと返信する。


昼休み。郵便局の待合スペースでいつもは手に取らない週刊誌を手に取る。

まさに今知りたい情報が詰まった特集タイトルの一冊をとっさに抜き取り、気になるページを膝の上で撮影する。発売日は2016年。ということは、5年前の情報。今、世に出ているデータは15年前のものなのか。

他にも光となる情報をいくつか見つけて、仲間とシェアする。


退勤後、退院したての岡田さんと、物の受け渡しで待ち合わせ。今野書店のフェアはミニフェアとして10月頭ごろまで延命しているそう。また小さいポップを置かせてもらおうか、など帰りの電車で話をして帰宅。


夕食時、職場でもらった白ワインを開けるのに苦戦。何も入っていないグラスに、粉々に飛び散ったコルクの破片が混ざり込む。最後にワインを家で開けたのはいつだったか。お肉を食べ終わった後に、ようやく栓があく。


夕食後、くうくうとベッドに倒れ込んで眠る。

目覚めたら、清水唯一朗先生が「大川さーん!」とTwitterで「なぜ戦争をえがくのか」の感想を國枝孝弘先生が書かれていると教えてくださっていた。國枝先生の授業を大学でとることはできなかったけれど、テレビでたのしい講義を視聴していた。お礼のメッセージを送ると、本を読んですぐ、まず土門さんの本を探しにかもめブックスへ行かれたそう。本に込めた願いが、光となって、あらわれる。


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