初めに詩来たる


朝9時、コーチングの説明を受ける。

少し話しただけで、今後どうしていきたいかのビジョンが頭の中でぐるぐる駆け巡る。

忙しさに追いやられてさらさらと流れがちな時間を、あらゆる方法でせき止めたい。今日という1日のなかにしっかり留まりたい。


でも生理痛で動けない。さっきやる気満々になったばかりなのに。ちょっとだけご飯を食べてからロキソニンを飲む。2時間昼寝。


金縛りを繰り返す。いわゆる頭は起きているのに身体は眠っている状態だけれど、夢の中では逆のことが起こる。身体は動かせるのに頭が半分ぼんやりとしてふらふら。恐怖と息苦しさを感じながら何度も目覚めようとする。疲れた。

脳のしびれを感じながら、もう寝ても仕方ないと諦めて庭に出る。

ラジオを聴きながら、ほうれんそう、菜花、水菜、大根の種を蒔く。

今日に留まりたいと願っていても、種を蒔けば明日が楽しみになる。来月にはみずみずしい葉野菜が食べられるはず。


ピーマン、ナスの中耕もした。根を傷つけないように表面を浅く耕す。しおりの「頭皮マッサージ」という表現がすごく好きで中耕の度に思い出す。雨で引き締まった土をほぐして酸素を入れてやる。苗が深呼吸している気がして自分も気持ちよくなる。

人間にも中耕って必要そうだな。根っこは守りつつ、無理なくほぐしてストレッチ。

10年履いているズボンに穴が空いていて、そのちょうど穴の部分の皮膚を集中的に蚊に刺された。どら焼きぐらいの範囲、ぼっこり腫れた。


音声ガイドの原稿を少し進める。1行のガイドにも責任が伴う。私がこんなふうに要素を抽出して表現していいのか。でも、ある程度まとめないと伝わらない情報になってしまう。主観表現はNGという原則があるけれど、どうしてもガイド者の主観から逃れられないという事実をいつも実感する。


友人とリモート会。フィクションにどこまで現実を反映させるか、社会の弱さを表現しても必然性がなければそれは消費にほかならないのではないか、全方面にどこまで配慮が必要か、などなどについて話す。完璧な物語は存在しないし、自己批判の精神を持って少しずつ進んでいくしかない。


和田静香著『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた』(左右社)を読んでいて出会った「初めに詩(うた)来たる」という言葉についてずっと考えている。


「社会が変わるときって、「初めに詩来たる」って言うんだってね。初めに詩がきて、次に音楽と芸術が来て、その後に設計とか技術が来て、最後に建物が建つと、建築の専門家の方が教えてくれたんです。時代の価値観とか歯車が動いてるときって初めに詩なんだと。感性と感受性の世界と言語の接点なんだろうね。」(p.257)


すごく希望になった。

これからも「感じる」をやってこう。




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