「本人」と書かれた襷をかけて、駅前で選挙活動をしている人たちの横を通り過ぎる。
いつも配られるビラも、感染拡大を理由に配ることができないのか。
明るい声だった印象が残っているだけで、何を話していたのか、記憶にない。
いつもと同じ時間の電車に乗った。車内が混んでいる。
いつもなら座れる時間帯の中央線も、今朝は座れなかったらしい。
明後日で3回目の緊急事態宣言が終わる。今回の宣言はいつ始まったんだっけ。
昼休み、銀行のATMで現金をおろす。
「女性の日記から学ぶ会」の会員費を郵便局から振り込む。
図書館で2冊本を返却する。
李承俊著『疎開体験の戦後文化史』は、手元に置いておきたい一冊だった。
疎開体験をえがく小説、高井有一著『少年たちの戦場』が発表されたのは1968年。刊行当時の評論では、この小説の特異な構成に対する評価は否定的だった。それを筆者が丁寧に、鮮やかに覆していく箇所はとくに面白かった。
学童集団疎開を経験した児童と教師が「被害者」として語る「証言」を同等に受け取り、考えてよいのかというくだりも考えさせられた。小中学生の児童がオリンピック観戦に動員された後の「証言」と問題提起にも重ねて見えるよう。
「あるベトナム人女性の夢」(全4回)の記事を帰りの電車で読む。
『なぜ戦争をえがくのか』の取材でハノイへ向かったのは、2019年10月。
イギリスへ密航中、コンテナで命を落としたファム・ティ・チャー・ミーさんは、その10月にハノイを発っていた。
その前は、技能実習生として来日し、相模原市の食品工場で仕事をしていたと知る。
原稿用紙に日本語で書かれた作文「私の夢」は、日本語を学んで1年とは思えないうつくしい文字と文章で綴られている。チャー・ミーさんは、資生堂の化粧品が並ぶお店の開店を夢見ていた。私がハノイへ行くきっかけになったのは、銀座資生堂ギャラリーで観た個展だった。
スマホに残る和装で笑顔のチャー・ミーさんの写真を見せて、お母さんは記者に言った。「娘の写真はほとんど消した」。
今朝、琉球朝顔の二番花が咲いた。
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