数日前、マーシャルのアミモノストアで働いている友人がふと気になり、元気?と連絡をしてみた。
「病気でいま働いていない」と返事があり、お見舞いメッセージに紫陽花の写真を添えて送ったら、昨夜返事が来ていた。
「マーシャルこないの?子どもは私が見るから、チャンポしにおいでよ」
もう私に子どもがいる前提の会話で可笑しい。でも最後に会ったのはもう2年前か。
「子どもは私が見るから」は、マーシャル人にとってはなんでもない常套句。でも久しぶりに聞いて、ドキッとしてしまった。乾いた心にどくどくと水が注がれる。
マーシャルで子育てをしないと、マーシャルを知っているとは言えない気がする。
マーシャルでは赤ちゃんを抱いていると、必ずと言っていいほど話しかけられる。
「産んだら私にちょうだい」というのも冗談半分でよく言う。産みの親より、育ての親。ママ、パパと呼ぶ人は複数いる。
そんなやりとりを懐かしく思いながら、マーシャルのラジオ局アカウントがSNSに投稿していた映像を見る。
夕暮れ時、一本道を走る運転席の横で、撮影者は前方風景をただ映している。
空港から中心部まで、みんなが走る一本道。
両側に立っている椰子の木のシルエットを見ているだけで、心が落ち着く。
時折、対向車のランプに照らされる。もう少し日が落ちると、ハイビームにしないと危なくて走れない。
信号機の代わりにところどころあるバンプが近づくと、車の速度は落ち、カメラが揺れる。ガタン。一緒に乗っているみたい。
この時速40kmくらいのスピードが心地いい。映像は、オチもことばもなく終わった。
投稿者は、マーシャルを離れて生活していたことがある人ではないかと推測する。
住んでいるとなんでもない風景が、離れるとこんなにも愛おしいと思うことを知っている。
えんまん、えんまんと、弾む心を確認できた、えんまんな一日。