11/11(木)晴れ
二度寝したら、首を寝違えた。
最大派閥、安倍派が誕生した。
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。
明日目覚めたら、首は治っているという希望。
党内最大の政策集団が憲法改正を進める失望。
その狭間で「幸せなら手をたたこう」誕生秘話をピースボートのオンライン勉強会で聴く。
「1959年に誕生したこの歌は、多くの人に愛され、歌い継がれています。スペイン民謡のメロディに歌詞をつけたのは、当時大学院生だった木村利人さんです。きっかけは、国際ボランティアとしてフィリピンを訪れ、戦争の傷跡と向き合ったことだそう。」
というイベント案内を5日ほど前に見て、すぐ参加申し込みをした。
2007年にジャルート環礁で、同年代の高校生たちがマーシャル語と独特なリズムで歌う「幸せなら手をたたこう」を聴いた。この歌が、太平洋戦争と向き合い、反省した体験につながるとは知らなかった。
木村さんは、1937年生まれ。87歳。にまったく見えなかった。
日本軍の加害行為を、フィリピンで初めて知った木村さんは「ぼくの本当の戦争体験の始まりだった」と表現している。
「大東亜戦争をしたことを、日本の子供たちは習わない。知らせまいという勢力が強い。知らないことが恥ずかしいこと。知らないことは、犯罪である。国際的なレベルで。だから幸せの「し」は、知ること。」
隣に座る妻、恵子さんや坂本九さんとの出会い、木村さんがその後、生命倫理の分野でフィリピンの人たちに応えたいという思いを態度でしめす道、すべてにつじつまがあっていた。
木漏れ日の中で、渓流を眺めているような時間だった。
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