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minami

描けない線


灰色でつめたい天気。秋と呼ぶには彩度がなさすぎる。床暖をつけてフローリングに張り付く。


今日もお絵かきざんまい。子どもの描く線がなぜ良いのかずっと考えている。なんでも描いていいと言われても、私が描くものはなにひとつ良くない。線1本でも、全然よくないのがわかる。猫も家も足も雲も、全部手癖で描いている。絵じゃなくて記号。描いて描いてと言われるけれど、記号ばっかり教えてしまって創造力をせばめている気がするから、私の描くものを見せたくない。


ドラマのなかに子どもが描いた絵が登場するとき「大人がわざと下手に描いて子どもの絵に見せかけたもの」が使われている確率がかなり高くて、それを感じてしまうとものすごく興ざめすることがある。


子どもの線や絵は、意味を通過していない。描こうと思う前に描いている。計画がない。それが羨ましい。大人がそうなるには、むしろ技術を習得した上で自由になるという、アスリートやアーティストの境地までいくことが必要なのかもしれないとも思う。全ての意味や記号を忘れて描こうと思う前に描く、ということができない。これは嘆きというより探求。


2021年に時空を超える土偶的なものを作るとしたら、その手法はなんになるのか考えることが重要だ。ある人にとっては絵で、写真で、映像で、陶芸で、文章で、料理で、音楽で、刺繍だったりする。意味を超えられる手法があればなんでもいい。これかな、と思うものがあるけれど、ほかにもあったら楽しい。思いもよらないものがあるかも。誰に見せるでもなくとも、没頭できる線も描いてみたい。


子どもの色の塗り方も良い。ランダムな体温。私が色を塗ると本当につまらない。つまらない斜線。でたらめさを装ってみても、うそのでたらめだとわかる。白い紙を前に、どうやったらたった1本、ユニークでここにしかない意味も脳も超えた線が描けるのか、毎日じりじり悩んでいる。


ずっと待っていた原稿が戻ってきた。と、思ったら急にタイトなスケジュールで動き出して慌てる。私もいろんなことをマイペースに進めてしまっているから同じだ。


脳みそが渋滞しているため、献立のバランスを考える容量がなくて炭水化物と炭水化物と炭水化物、みたいな晩御飯をつくってしまう。これはよくないと思って焦ってほうれん草だけ追加で茹でた。


「1いちさ(ん)のて10こ」(手が10本ある1さんの絵)

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