朝、ピンクピン太郎と一緒に谷川俊太郎さんの詩集を読む。
「ぱん」という詩が好き。
"わたしはぱんです
むかし わたしは こむぎでした
おひさまが かがやいていました
あおぞらが ひろがっていました
そよかぜが ふいていました"
これはパンの記憶だ。泣きそうになる。
デザイン上、ノンブルが入っていないページがあって、そこに全部数字を書き入れてくれた。
午後。パレットについた絵の具を洗いながら、小学生のときのことを考えた。図工の時間のおわりに水道の前に列ができたこと。
洗っても洗っても真っ白にはならないからどこかで諦めるのに、ゆきこちゃんのパレットはいつも新品のようにきれいだった。自分の雑な性格をみじめに思った。
でも今日、大人として真剣に洗ってもパレットの汚れは完全には落ちなかった。
なんやねん。
週末のトークイベントの打ち合わせ。登壇者は3〜4人いて、私だけがリモート。わたしだけスクリーンの中に顔が映される。デスゲームの主催者みたいな感じで参加することになる。
でもありがたい……。じゃあこの人呼ばなくていいや、とならず、わざわざリモートの準備をしていただけたことが心からありがたい。
夕食は力尽きてハヤシライス。10分くらいでできるから助かるけど、夫はあまり好きじゃないのもわかってる。ハヤシライスに花椒油をかけて、これならおいしいと言って食べていた。さすがに合わんやろ。なんでも麻か辣にする四川マインド。
義理の両親は3週間のホテル隔離を経て昨日やっと自宅に帰ることができた。リモートの画面にでかつてないほどほっとした表情が映っていた。地元ではもう誰もマスクをしていないらしい。
2019年のシンガポール旅行の写真を見た。いまから見るとありえないような距離と密度で人々が交流している。プールや屋台や寺院でひしめきあう人の映像をみて、ひゃ、と思う。今ではむずかしい光景だね、このとき行っておいてよかったね、と言った。
でも「このとき行っておいてよかったね」って不思議な感覚だなと思った。
仕事や勉強や用事とか、わかりやすい利益や学びがあるものなら「やっておいてよかった」と言うのもわかる。でも純粋なたのしい思い出に対して「やっておいてよかった」って思うのって、どういうことだろう。でも、たしかに思う。
「楽しい」は現在だけのものではないってことなのではないか。
過去に楽しかった時間は、今後もずっと楽しい。だから楽しいことをしておいてよかった。
そしていまは、今日締め切りの原稿を提出した直後の爽快感の只中にいる。
今週もお疲れ様でした。
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