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  • shiori

弾ける綿

8月27日(金)

地震で目覚める。横揺れ。茨城が震源地。


7時。アイアカネコットンプロジェクトに協力してくれている友人から、コットンボールが弾けたと連絡がある。

天然繊維の弾力を写真越しに想像する。


出勤中、大江戸線の中から恩師I先生にメール。

I先生が勧めてくれた埴谷雄高の「平和投票」の文章を読んだ後、たまたま今手元に「ETV特集 埴谷雄高・独白「死霊」の世界 (1995年放送)」のディスクがあることに気がついた。昨夜、全5回を夢中で見たことを伝える。


「日本の思索性のなさは、小さい個別性を本当に小さいところまで追って行かないことにある。」

「女が思索を支えていると思わないから、フェミニストは僕をやっつけていいんだよね。」

「自分が喰われた経験がないから、子供を作らない。生命というもののインチキ性を問わない限りは。妻に「死霊」を書き終わるまではダメだと言って、いまだに書き終わらない。」


作家による作品解説。「死霊」第4章から第5章の発表には26年かかっている。

「獄中にいるつもり(うふっ)で、ぜひ「死霊」に浸ってくれたまへ。」I先生の返信。


退勤後、図書館で2冊リクエストの本を受け取る。

粕谷一希著「作家が死ぬと時代が変わる」を帰りの大江戸線で読む。


19時からHAPS主催のセミナー第一回トーク。「共生とはなにか」

最初に話をいただいた時は、HAPSの拠点である京都に行ってトークをする予定だったけれど、オンライン開催。

聞き手の小泉朝未さんは、書店で「なぜ戦争をえがくのか」を呼んで声をかけてくれた。書店での展覧会、映画の配給も自分たちで行うことを含めての歴史実践を通して、共生とはなにかを考えている。ということを話しながらわかった。


22時。みなみとビデオ通話。

自宅療養という名の自宅放置が、11万人を超えたというニュースについて。(埼玉は集計し直しているから実際はもっと)

東京都で1万人を超えたのは8月1日。今日は都だけで2万5千を超えている。(実際はもっといる)

菅総理には「明るい光が見え始めている」という。裸の王様よ。

この国がこれから辿る未来を一緒に予想する。1945年8月15日のように、ひとつのピリオドとして記憶される日はやってくるのだろうか。今はまだ、1942年くらいなのだろうか。

家族、友人の中で、自分だけが運よく生き延びてしまったことを背負って生きていく人が増えていく。自分もそのひとりに来年の今頃はなっているかもしれない。見えない火の粉は倍々に広がる中、私たちは日々を記録する。20年後のわたしに向けて。こんなにも毎日を切実に憶えていようと記録する時間はいまだかつてなかった。交換日記であり、交換遺書。

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