1/10(月)曇り
渋谷の焼肉店に28歳の男が立て篭もったニュースを見る。
2週間前に長崎から上京、新宿で路上生活をする中、生きる意味が見出せなくなっての犯行。衣食住に困らない刑務所生活を願った、10月の京王線無差別刺傷事件の模倣犯。
なんとかひとりでがんばろうとして、行き着いた先が刑務所になる社会。あまりに世知辛い。安心して眠る場所があることが、戦場ではなく、平和と呼ばれる今の日本の社会の中にあることが、とても幸運なことに感じる。
自己責任論を内面化することが、おとなになるってことじゃない。でも、今の日本社会はますます自己責任が自由と引き換えになっている。コロナ禍に入る、ずっとずっと前から。
今週末の予定を参加人数減らし、各種調整。
昼過ぎまで、綿花の種取り。

爪半分くらいの小さな種を綿から引き裂く作業で午前が終わる。
白綿の方が、茶綿に比べて種取りしやすいのはなんでだろう。硬いお餅みたいに見えた綿花の塊が、種を取ると綿あめみたいになった。手のひらに載せると、感触も温度も、クリームそのもの。ブルブルっと震えて、ワンと吠えそうな。
韓国のサスペンスドラマを見ながら、茶綿の種取り。ひとつの種を綺麗に取るのに、1話終了。突然、大叔母に会いに行こうと思い立って施設に電話。お達しがまだ来ていないから、玄関で面会可能とのこと。2時に予約。2話まで見て、フォーを急ぎ作って食べる。
家を出る支度中、「今から関西へ行ってくる」とみなみから訃報が入る。今朝みなみの日記を読んで、案じていたばかり。2年前の秋、奈良のお家へ遊びに行かせてもらった。餅つき機を前に、みなみとおじいちゃんが繰り広げるコントみたいな掛け合いが浮かぶ。庭にたわわに実る柿を一緒に収穫した後、映画を一番前の席で観てくださった。漁師みたいな佇まいに惚れ惚れとした。気持ちを奈良へ飛ばし、身体は浅草へ。
昼寝から起こされた大叔母は、車椅子に乗ってヘルパーさんと玄関まで来てくれた。
手のひらに乗せられた、懐かしい正方形の布マスク。もしかしてと尋ねると、「大量に来たから、まだ余ってるんじゃない?」と、スタッフの方。不織布マスクでも防げないオミクロンに、アベノマスクで立ち向かってくれという政府が信じられない。2枚のマスク配布で国民が安心すると本気で思った人も、思わないけれど仕事を進めるしかなかった人も、最後の一枚まで、どこの誰に渡ったのか、見届けて欲しいと願うのは罪深いこと?
「百人一首の本を借りてきてほしい」という大叔母のリクエストあり、メガネ直し中の30分、裸眼で本屋を徘徊。百人一首の本とみなみの新著を検索。「くらしの知恵」コーナーの一番目立つところに面陳されている「ふやすミニマリスト」を目撃し、著者に報告。 裸眼で一番見やすいと感じた「えんぴつで百人一首」を購入。会計時にもらった抽選券のくじ引きは、40分待ちで諦める。
セリアでA4とB5の茶封筒を買う。A4、5枚入り。ダイソーは10枚入りだったはず。
カルディでビャンビャン麺を3つ買い占める。
帰宅して昨日のおでんを食べて、韓国ドラマの続きと種取りで夜が更ける。
加計呂麻島で読むはずだった1月10日の島尾敏雄日記を眠る前に読む。島尾について知り始めたばかりだけど、人となりが想像できるような気がする。
昭和21年1月10日
こんこんと雪が降つて居る。お餅がかびはじめた。三保からの二通の電報がやつと今日ついた。それは昨日の手紙で先刻承知せる事項である。
毎日新聞チユーリッヒ特派員の若山淳四郎といふ人は天皇の風俗化といふ言葉を使つてゐる。毛沢東は数枚の毛布と二着の綿服以外に「財産」を持たぬ、と朝日新聞は書いてゐる。
夕方藤井が来た。藤井に教へてもらつて東の空の火星をみた。赤くまたゝかずにぢつと光つてゐる星であつた。
昭和22年1月10日
夜中の十二時を過ぎれば、二階の勉強室に落着けない。結婚してそんな風になつた。今日は美穂一日中寝てゐた。米の配給がおくれて今一日だんご汁や餅汁ですませた。石橋君が実によく働いてくれる。美穂がみかん食べたいと云ふので買った。一つ五円、五円しかなく一つだけ買ふ。既に無一物になつた。
昭和24年1月10日 晴天
神戸新聞に僕をインタビュした記事。新人の春といふ見出し。
昭和25年1月10日
くらくならぬうちに帰宅するとミホが喜び、夕食(唐芋ふかし、もちの油あげ、大根にんじん、ちくわの煮物)後入浴。実際に仕事をしなければ。小説を書くことが生きること。放蕩の血が湧き、そして金のないこと。