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minami

殺伐

7/14(木)


おばあちゃんの誕生日。おめでとうと連絡すると「あまり嬉しくない」とのこと。朝から駐車場の草むしりをがんばった81歳。会いたいな。


入稿日でそわそわする。5時に起きて修正作業。

「配慮をしすぎると表現がつまらなくなる」という人があるが、本当にそうかな?といつも思う。丁寧に伝えるからこそ宿るものもある。でも、さすがにいろいろ考えすぎて胃が痛い。


ニュースを見てもため息しか出ない。命の重さって違うの?と思わされることばかり。

分けて考えたいことがたくさんあるのに、細かい部分が伝わる気がしない。あらゆる方向から揚げ足をとられそうで、口を開けば敵対視されそうで、何も言えない。対話していないのに対話の前ですくんでいるような毎日。


夕方、ショックなことがあった。隣の家の人に「御宅の荷物が誤配送された」と怒鳴られ、アマゾンの箱を投げつけられた。しかも一旦帰った後、あとで取りに来てと言ってその箱をもう一度回収していった。「知らないかもしれないけど日本ではね……」とも言われた。

夜、ラジオ収録。ここまで走りきればなんとかなる。


しかし感染者が急増している。

ある程度のリスクは仕方がないとして生活を続けていくしかない、という考え方はわかる。だけど、変異種が出るたびに感染力も重傷化率も変わるのだから、毎回一旦立ち止まって対策を見直したっていいじゃない。もうマスクなんかしなくていいのに、と開き直った状態でどんどん強くなる変異種を迎えるのは危ない。でもそれを言うのすら憚られる空気がある。「コロナ脳」って言葉、差別語だと思う。流行語と差別語の境界はあいまいだ。


外から怒号が聞こえる。2022年夏、殺伐としている。

大丈夫だよ、と自分に言いながら、くるくる巻きでうまれた葉っぱの赤ちゃんをさわる。





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