10月16日(土)
銀座線渋谷行の車内で、原民喜の「廃墟から」を読む。
民喜は1905年、日露戦争で日本が勝った年に生まれた。民喜という名前は、戦争に勝って、民が喜ぶという意味なのだと、民喜の兄は憶えている。
民喜の父は、陸海軍・官庁用達の軍服や制服などの製造卸を営む原商店を創業。
「ぼくの家はね、戦争成金なんだよ」「工員を搾取して、ぼくらのうのうとして来たんだ」と首を横に振った民喜少年は、40歳になった1945年8月6日、爆心地から1.2kmの生家で被災。「このことを書きのこさねばならない」と記録した「原爆被災時のノート」をもとに「草の花」(原題「原子爆弾」)を書いた。6年後、遺書17通を残して自死。遺書を読んだ遠藤周作は「貴方の死は何てきれいなんだ」と日記に書いた。
銀座線渋谷駅の改札を抜け、真っ白い通路を心許なく道なりに歩く。マークシティ内の井の頭線改札が見えて、目的地渋谷に着いたと安堵。
SHIBUYA109の広告は、iPhone13。ポッカリと空いた土地に、建設中の工事が進む。
待ち合わせ場所に、I先生はうしろから現れた。
ようやく実現したランチ。先生と初めてご飯を食べる。ピンセットで一文字ずつ拾うように戦後文学を読んできたI先生の冗談と可笑しな話の合間に、「麗しいディスタンス」やスペイン語が突然入り込んでくる。「先生なんて嫌いなんだ」という先生が好き。
アップリンク渋谷に続く道をひとり歩く。
キッチン・タベラがあった窓に貼られているテナント募集の文字を直視できず、iphoneカメラ越しに眺める。
新大久保の文化センター・アリラン図書室で、資料を探す。
下の階の高麗博物館で、企画展「子どもの絵手紙交流展」と「ヘイトスピーチを許さない」を見る。
羊をめぐる旅をしている遠藤薫ちゃんから連絡が入り、急遽羊のお店で会うことに。
先週末、南三陸で復興支援に羊を飼い始めた人に会った。ちょうど行ったお店に羊飼さんが在店中で、一緒に羊の話をうかがう。
ジンギスカン鍋は、鉄のヘルメットを鉄板代わりにしたからドーム型なのだと知る。日中、日露戦争の時代に、満洲でうまれたアイデアの継承。