12/9(木) 晴
先週に続きテレワーク後、明学の日本文化論の授業にオンラインで参加。
今日は佐藤冨五郎日記(本島帰島から絶筆まで)を遺書とあわせて細かく読解し、4人ずつのグループに分かれて読み合わせ。
田中先生と重ならないように、私も4つのブレイクアウトルームを順にまわる。
3/4は冨五郎さんの誕生日。
翌3/5、冨五郎さんは弱音を多く書いている。
人生もこれまで。今までよく頑張った。日記もしばらく休む。遺書も単文にして別に書く。
誕生日までは頑張ろうと思ってたけど、誕生日を過ぎて心が折れちゃったんじゃないか。
遺書は単文にとあるけど、ほんとはもっと書きたかったんじゃないか。
自室、教室、青空の下にいる20歳の学生たちが、冨五郎さんの心情にあれこれと手を伸ばす。
ひとつ気になった箇所があって。
どうして3/10は晴。としか書かなかったんだろう?ほかに書きたいことがあったけど、書けなかったのかな?
という問いに、私もあらためて考えてみる。
翌3/11の日記を読むと、「今少々気分モや良イ方ナリ」と書いている。この一文から推測するに、晴しか書けないくらい気分が落ちていたのかも?
とはいえ、私だったら晴の一文字すら書けないな。
日記も一日休んだら、再開のタイミングは訪れない可能性が高い。
冨五郎さんは休むと書いた三日後には日記を再開している。

明後日に迫る研究会の資料がようやく形になってきた。
原田さん探しの年表を細かく作ってみて気づいたこと。
期待や可能性が絶望に変わり、気分が落ち込んだ一か月後くらいに、別の方角から突然光が差す。感情グラフを作ると第六波くらいの波を乗り越えて、最後は予想を超える景色が待っていた。
寄り道に思えたことも、すべて布石。