9時。昨夜「keememej」を鑑賞してくれた友人が、電話で感想を伝えたいと連絡をくれた。4年ぶりに声を聞く。子ども3人と今は日本で暮らす彼女は、8年前、マーシャルでいちばん上の子が1歳半になるまで住んでいた。
当時1歳半だった子どもに、マーシャルの記憶はない。でも、今10歳になり、字幕の意味をすべて理解できなくても、9割くらい横で一緒に最後まで見ていたという。
途中、マーシャルで日本語をすえさんが話す場面で「この人も、日本語が話せるんだね」と言ったそう。すえさんにそれを伝えると「最高の感想ですね!」と返事がきた。
友人は、会ったことがあるイシワタさんの表情と眼差しが、とりわけ印象深かったと教えてくれた。ふるさとってなんだろう。とも考えさせられた、と。答えはないけれど、考えるきっかけをもらった。ほかの出来事とリンクできる種まきができたという声に45分耳を傾ける。「タリナイ 」をまだ見れていなかったから、8月中に配信で見てまた電話をくれるとのこと。映画が遠くなっていたつながりを深めてくれる。
12時。一昨日の日記を仕上げて家を出たかったけれど、書き終わらない。途中で保存して、家を出る。今日は森岡書店の展覧会最終日。13時から19時まで在店したかった。日焼け止めを塗り忘れた。日傘も忘れた。じりじりと二の腕が音を立てるように焦げていく。
森岡書店に着くと、昨日一緒に加藤翼展を観た後、gallery5で購入した山下陽光さんの「途中でやめる」Tシャツを森岡さんは着ていた。購入時は赤茶色の大きな丸のデザインをなんとも思わなかった。「アトム書房」の企画を森岡さんは山下さんと一緒にやろうとしたことがあるんです、とキラキラと目を輝かせながら、Tシャツを選んでいた。ところが今、書店へ向かう途中、近くで集会をしている人たちに警戒され、凝視されてしまったという。
たしかに、言われてみれば、森岡さんのTシャツは「日の丸」を主張しているように見える。警戒されてしまっても仕方がないかもしれない。森岡さんに、争う気はさらさらないけれど。
閉店まで途切れなく、最終日に間に合ってよかったと駆けつけてくださる方が耐えない。5人くらいの方とそれぞれ1時間弱、テーブルを挟んで椅子に座り、じっくりと話をすることができたことはこの状況下でほんとうにうれしくありがたいことだった。
地に足がつかないまま、2週間の会期は閉幕。
貼ったばかりのガラスのシールを搬出で来ていた後藤さん、森岡さん、岡田さんと剥がす。
戦だけを剥がすと、「争を知らない表現者たちの歴史実践」になった。
「表現が多様な空間なのに、すっと自分と向き合える時間もあって心地よかった」という感想は、最高の感想のひとつ。
プロジェクター、スピーカー、配線コード、一式袋につめるとパンパン。搬入時に持ってきたスーツケースを持ってくればよかったと思いながら、近くの公園へ。今野書店の壁新聞、後半戦に向けた打ち合わせ。蚊に刺されながら手短に後藤さん、岡田さんとミーティングをする。今日までにテキストを考えられていたらよかったけれど、まったくその余裕がなかった。しあさっての夜にオンライン会議を設定して、解散。
帰宅後も、keememejのありがたい感想メール(どれも長文)が続々と届く。
ワクチンの副反応で2人高熱の中、映画を鑑賞してくれていた。
バッドタイミングであれ、超多忙であれ、keememejを2日間という限定された期間に最優先で見てくれた人がいる。
そのことをこれから先、ずっと憶えていよう。