金曜日。最高気温12℃。朝から一日冷たい雨。明日は晴れ予報。
一日置きに別世界を見せる天気が、変わらないように見える景色も、見方ひとつで晴れにも雨にも変わると教えてくれるよう。
退勤後、期日前投票へ。
と思っていたら、役所以外の会場は24日からだった。
通勤中、NHKのサイトで最高裁の裁判官の判断を読んだ。
夫婦別姓と一票の格差は、違憲か合憲か。各裁判官の判断が一覧表でわかりやすくまとめられているほか、表現の不自由展、辺野古訴訟、袴田事件再審など、気になる事件の意見も比較すると、未就任で判断ができない人を除く7人中、6人に×を書くことになってしまった。むむむ。
過去の罷免はゼロ。もっと国民の意見が反映される仕組みと、日常の中で考える機会を設けられないだろうか。
アーサー・ビナード編著「知らなかった、ぼくらの戦争」に、魚雷射手として駆逐艦「雪風」に配属された西崎信夫さんのインタビューがあることを知り、再読。
「奇跡の駆逐艦」として生き残った「雪風」は、戦後は復員輸送船となり、その後は中国の海軍に引き渡されて「丹陽(タンヤン)」と改名された。
戦後、残務整理を命じられた西崎さんは、船の機密書類をひとりで償却する任務を命じられた。失敗の歴史を、自分たちが生きた証を、部下がすべて焼く。
裏山で穴を掘り、火をつけ、めらめら燃え上がる炎とパチパチとはじける音を聞いた時、資料たちが怒っているように、西崎さんには感じられたという。
その後、甲板長となった西崎さんは、中国、沖縄、台湾、ポートモレスビー、ラバウル、東南アジアを中心に、一年間で、1万3600人を日本に運んだ。そのなかのひとりに、水木しげるさんもいたという。ひとりの顔と名前が浮かんでくるだけで、1万3600人が数字ではなくなる。
iphoneで10月22日の写真検索をしたら、はらこ飯の写真が出てきた。
4年前の今日、「マーシャル、父の戦場」の勉さんインタビュー取材で、岡田さんと亘理へ行ったんだった。この日も朝から雨が降っていた。常磐線の亘理駅に向かう電車で、まだ人見知りっぽい岡田さんが、手すりにつかまって揺れている。
本の表紙に選んだ、赤ちゃんの勉さんを抱く冨五郎さんの写真を見たのは、この日が初めてだった。
映画は完成していたけれど、本の輪郭がまだおぼろげだった当時。
写真の裏には「勉が6ヶ月」と、日記と同じ筆跡で書かれていた。
本づくりを通して、この写真と出合えたことに震え上がった。
帰りの常磐線で「この本は、いい本になります」と岡田さんは繰り返し唱え、私も負けないくらい頷いていた、ような気がする。