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shiori

平和投票

8月25日(水)


今日は朝から力仕事。粗大ゴミ置き場と可燃/不燃ゴミ捨て場の往復で半日が終わる。

台東区の清掃事務所でクラスターが発生して、月内の不燃ごみ回収を休止したニュースを目にしたのは先週だったか。たった一棟から出る粗大ゴミの山を見て、いろんな不安が込み上げてくる。プラスチックなど物質の上でウイルスが生き延びる時間も、デルタやラムダになると長くなるのか。


退勤後、今野書店へ。

残りの会期日数を数えながら、上映後の舞台挨拶に向かう気持ちで西荻窪へ向かう。



「昭和40年代ごろの財閥の会社では、会議室で飲み会が始まると、上司が軍歌を歌い始めてね」と、フェア棚に立ち寄ってくれたお客さんの話に耳を傾ける。

戦後しばらくは、ラジオでもまだ軍歌が流れていたらしい。

「海軍主計科卒とか、陸軍少将など軍にいた人が当時の上司だったからね。中国や韓国へ出張に行って、現地の人と親しくなると「戦争中、家族が日本人に殺された」という話をよく聞いた。ほんとうの話をすると、みんな「戦犯」になってしまうから、言えないよね。自分の父親も何も話さずに死んだ。中学校の先生は、戦艦大和の数少ない生き残りでね…」


今日このお客さんにお話を聞けただけで、良かったと思っていたら、閉店間際に話しかけてくれたお客さんの奥様は、国際高校出身だった。


帰りの電車内で、国際高校でお世話になった先生からのメールを読む。

「戦争を語り継ぐ」という不可避かつ不可能な営みの共有として、ある教材を読んでほしい。

抜粋なので話の前後は、想像力と演出力でどうぞ……とある。


「…解りますか、戦争には、情熱をそそる角度があると私がいった意味が……。崇高な勇気に充ちた美徳の場面も、卑劣な狡計と残忍に充ちた悪徳の場面も、そして、人間をすっかり捨象した自然と物体だけの場面も、一応そこから任意にとりあげることが出来るんです。……(中略)……

私--いや、いや。戦争の重味をとめるのは、本当に、死者しかいないのですよ。そして、そしてそれをとめる訴えをしているのがただ死者しかいないことが、また、やがてそれが歩一歩と生活のあいだに出現してくる唯一の理由になってるんです。何故って、あらゆる生者はすぐ死者を忘れてしまい、生の秩序のなかにどんな戦争をもはめこんで意味づけてしまうんですからね。だから、私は敢えて云いたいですね。本当の戦争は、生者と死者のあいだではじまる、と。」(以下略)

(『群像』26年6月  埴谷雄高)(P50~「平和投票」濠渠と風車)より。

「濠渠と風車」をネットの古書で見つけ、購入。

精神のリレーの仕事に携わった先人のことばに、今を生きのびる術を見出す。


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