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マ工事

3/13(日)曇


7時11分練馬区役所前発のバスで、田中さんと長野市立博物館で開催中の企画展へ。

毎週末、台風で被災した文化財の修復保全活動をボランティアで行っているえりかさんから案内をもらい、行きましょうと決めたのは昨日。陸前高田の被災資料が見れるのは今日までで、駆け込んだ甲斐があった。作業を行った班ごとの個性がキャプションに表れていて面白い。屏風裏の下張文書に隠された豊かな歴史。ボランティアの顔が見える手書きの作業日誌は、資料の表紙写真、図やイラストがあると探しやすく引き継ぎしやすいこと。被災資料はタンスごとレスキューし、乾いた状態ではなく、凍らせて半解凍の湿った状態でゆっくりと開くことなどを学ぶ。2階の常設展は、1600万年前、長野が深海にあった頃から始まっていて見応えがあった。


肉うどんのランチを食べた後、一度行ってみたかった象山地下壕へ。

敗戦間際、大本営、政府中枢、天皇御座所の移転計画が長野にあった。敗戦濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行い、連合国に最後の打撃を与え、国体護持の和平条件を得ようと考えていた。指揮中枢のためのシェルターとして計画された地下壕。1944年11月11日から始まった工事は、当時の金額で2億円を投入。約6000人といわれる朝鮮半島出身者が強制労働されられ、従事した人で名前が判明しているのはわずか4人。近くに蚕室があり、女工たちが暮らしていた民家は強制的に借り上げられて慰安所に。慰安所の歴史を語り継ぐことをめぐって分断していた市民団体は、会員の高齢化によって、いま歩み寄りをはじめていると「もうひとつの歴史館・松代」で聞く。冬期休館中だったけれど、事務仕事をしていたスタッフさんが開けてくれてラッキーだった。

地下壕の非公開部分には、カンテラの煤を指につけて書いたと思われるハングルの文字。(青木孝寿著『改訂版 松代大本営歴史の証言』)筆者と思われる日本名「河本」は読める。肉眼で見ることができたら、ハングルの部分もまだ読めるのだろうか。

避難壕と坑道でつながっている天皇御座所のコンクリートの厚さは90cm。

壕内に三種の神器を置く賢所は、稲妻型に設計。それぞれ45度の角度で配置することで、爆風から守ろうとしていた。昭和天皇は戦後長野を訪れた際「このへんに戦時中、無駄な穴を掘ったところがあると聞いているが、どのへんか?」と訊ねたという。その真意をはかりながら、御座所の詫びしい山々を眺めて帰った。

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