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shiori

千の葉

9月10日(金)晴


年次休暇を取得して、千の葉の芸術祭へ。

9月に入って、はじめて浴びる太陽の光。あったかい。というより、暑い。雲はまだ夏の顔をしている。

京成線の車内で、奄美大島の友人から4文字のくずし字の書を受信。

昭和29年、初夏。日本復帰直後に書かれたもの。読めない文字があり、三上先生に書の画像を転送すると、30分後には読めなかった2文字が明らかに。すごいや。造語だね、どんな人だったんだろうね。昭和29年に生きた人物の輪郭をなぞりながら、目的地の京成稲毛駅に到着。会場近くの、WiFiが使えるびっくりドンキーを目指して歩く。


一番小さい150gのおろしハンバーグを注文し、ノートパソコンを開いてwifiパスワードを入力。林英一先生のオンラインゼミ合宿に参加。「戦争の記憶の当事者になること」というテーマの夏合宿で、課題図書に「なぜ戦争をえがくのか」を選んでいただいた。発表中に、入り込んでご挨拶。入ゼミ後、先生と学生は一度も対面できていないそう。画面ONの参加者は2人だけ。顔が見えた学生さんの一人は、戦争に関する戯曲を書きたいと思っていると教えてくれた。夏のゼミ合宿といえば、日付が変わるまで発表報告を聞き、先生も酔っ払って学生と絡む。翌朝も睡魔と戦いながら、なんとか人数分の発表を終えた後、非日常な空間で集合写真を撮って帰る。それがかなわないオンライン合宿の時代に、リアル合宿を体験した者としては、胸が引き裂かれる思い。


14時。女性の日記から学ぶ会代表の島利栄子さんと会員の鈴木さんと、会場の旧神谷伝兵衛稲毛別荘で待ち合わせ。写真家・金川晋吾さんの作品「日記を読む」で、16歳の時に書いた島さんの日記を聴く。ワインセラー跡の半地下の暗やみに、書き手の顔や情報はない。1日分の日記を読む人の声が、一つのスピーカーから響く。16歳の大晦日に書いた島さんの日記には、1960年代の高校生である自分を見つめた言葉が綴られていた。大人びている。鈴木さんの日記も読まれた。「今日のお父さんの匂い、赤ちゃんみたい」

長い長い夫の介護生活で、ある日、鈴木さんは夫の匂いを赤ちゃんみたいだと感じた日があった。日記を書くことで、そう思ったことに気づき、今回朗読をしてそんな日もあったと思い出したという。島さんも、この一文がとても好きだと言っていた。


2階の和室から立派な松林が見える。ということは、ここから海が見えたのね、と鈴木さんが言う。海岸まで何kmも埋め立てられてしまった。海を埋め立てるという発想を最初に考えた人は、変わりゆく景色と与えた影響を今どう思うのだろう。


愛新覚羅溥傑と浩が満洲国へ渡る前に住んでいた家も、芸術祭会場の一つだった。かつて海岸線があった国道を歩いて向かう。政略結婚でありながら、夫婦仲がよかった二人は、敗戦後16年も会えなかった。

帰りの電車で、神谷別荘で働いていた花光志津の日記を読む。1941年5月から42年3月の日記。


八月十日 日曜日

お昼は氷うどんで日本汁を作って食べておいしかつた。


という一文に目が留まる。日本汁ってどんな味だろう。


みなみと田中さんに写真を何枚か送ると、みなみから「ツルボーボー」と返事がきた。

旧満州のお正月に沢山作るツルボーボー、とは。


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