描けない線

灰色でつめたい天気。秋と呼ぶには彩度がなさすぎる。床暖をつけてフローリングに張り付く。 今日もお絵かきざんまい。子どもの描く線がなぜ良いのかずっと考えている。なんでも描いていいと言われても、私が描くものはなにひとつ良くない。線1本でも、全然よくないのがわかる。猫も家も足も雲も、全部手癖で描いている。絵じゃなくて記号。描いて描いてと言われるけれど、記号ばっかり教えてしまって創造力をせばめている気がするから、私の描くものを見せたくない。 ドラマのなかに子どもが描いた絵が登場するとき「大人がわざと下手に描いて子どもの絵に見せかけたもの」が使われている確率がかなり高くて、それを感じてしまうとものすごく興ざめすることがある。 子どもの線や絵は、意味を通過していない。描こうと思う前に描いている。計画がない。それが羨ましい。大人がそうなるには、むしろ技術を習得した上で自由になるという、アスリートやアーティストの境地までいくことが必要なのかもしれないとも思う。全ての意味や記号を忘れて描こうと思う前に描く、ということができない。これは嘆きというより探求。 2021年に時空を超える土偶的なものを作るとしたら、その手法はなんになるのか考えることが重要だ。ある人にとっては絵で、写真で、映像で、陶芸で、文章で、料理で、音楽で、刺繍だったりする。意味を超えられる手法があればなんでもいい。これかな、と思うものがあるけれど、ほかにもあったら楽しい。思いもよらないものがあるかも。誰に見せるでもなくとも、没頭できる線も描いてみたい。 子どもの色の塗り方も良い。ランダムな体温。私が色を塗ると本当につまらない。つまらない斜線。でたらめさを装ってみても、うそのでたらめだとわかる。白い紙を前に、どうやったらたった1本、ユニークでここにしかない意味も脳も超えた線が描けるのか、毎日じりじり悩んでいる。 ずっと待っていた原稿が戻ってきた。と、思ったら急にタイトなスケジュールで動き出して慌てる。私もいろんなことをマイペースに進めてしまっているから同じだ。 脳みそが渋滞しているため、献立のバランスを考える容量がなくて炭水化物と炭水化物と炭水化物、みたいな晩御飯をつくってしまう。これはよくないと思って焦ってほうれん草だけ追加で茹でた。 「1いちさ(ん)のて10こ」(手が10本ある1さんの絵)

今年いちばんの

寒さで身震いする朝。ベランダの琉球朝顔が一面紫色で、30度超えの真夏日と錯覚する。気になって調べてみたら、秋になると昨日咲いた花が翌日も咲いていることもあるよう。まだ半袖を着る日があると思って、衣替えをしていない。でも秋はもう中盤に差し掛かろうとしている。 陽だまりのベランダで、落花生の収穫。 シャベルでそろそろと土を掘り返し、白っぽいものが見えた!と思ったら、モニョっと動く幼虫を起こしてしまった。結構大きいように見えたから慌てて土を被せ、葉っぱの根元を引っ張り持ち上げて、またそろそろと掘る。土の塊をかき分けていくと、出てきた出てきた。 勢いよく伸びる葉をぐるぐるとプランター内に回転させ、みなみからもらったひと苗に毎日水をやり、2、3回土寄せをした。そうして実らせた10個の落花生。すぐ塩茹でして、うまれて初めて育てた落花生を食べる。 ほくほくとやわらかい。噛むごとにほんのり甘さが広がる。柿の種のピーナッツも、これくらいやわらかくて甘かったら、醤油味のあられと同じくらい喜んで食べられる。 食後に、落花生の実入りが少ない場合のアンサーで「葉が真っ黒になってから私は収穫しています」とアドバイスをしている人のコメントを読む。もう少し待ったら、もう少し食べられたのかな。でも美味しかったから、今日がベストだったのだと思う。 緊急事態宣言が解除されたことで、先週から会場で手話講習。のんびり夕飯を食べていたら、遅刻ギリギリに。 今日はいつものように復習からではなく、いきなり前に出て自己紹介。 聴者は会話だけでコミュニケーションができても、ろう者は手話で会話をするから、いつでもまわりの注目を集めてしまう。注目を浴びるということに慣れるという意味でも、前に出てマスクを外し、フェイスシールドでひとりずつ手話で自己紹介ができるようにしましょう。 名前、家族、趣味、職業、住所をこの半年で言えるようになった。 4月からほぼzoomで講習を受けていたから、いつも部屋着だった人がスーツを着て前に立っているだけで、別人のように見える。背が高く見えた人が意外に低かったり、おとなしそうに見えた人が、声を上げてよく笑いながら手話をしているのを見るのはたのしい。 顔が文法の手話。 真顔で「好き」「嫌い」「得意」「苦手」などを表す手話を表現しても、先生に伝わらない。「うどんが大好きです」と表現し、伝わった時のよろこびは、幼い頃に憶えたことばが通じた時のよろこびに近いような。 「自然」を表す手話は、ひらがなの「し」と表すのだと憶えていたら、反対向きの「J」だった。オンラインのままだったら、ずっと「し」と憶えたままだったと思う。 帰り道は寒すぎて、いち早く帰宅しようと自転車のペダルを思いっきり漕ぐ。行きは気がつかなかった選挙ポスターがあちこちに貼られている。投票で変わったほしいことがたくさんある。 今日の東京都の感染者は、29人。今年いちばん少ない。全国で232人。16県で0人。1年ぶりに300人を下回る。このまま減少理由がわからないまま、次の波を迎えることになりそうなのは、気持ちが悪い。よい予感より、わるい予感の方が大きいということを憶えていようと思う。

思い出

肌寒さで目覚める、一雨一度の秋。 昨日に続き、リモートで縄文のトークイベントに登壇する。 縄文時代は思い出だ。遺跡へ行ったり、土器を見たりするとき、歴史を感じるというより誰かの記憶に触れた気持ちになる。 土偶はポエムだ。人間や動物や植物を模した写実的な品はほとんどない。その技術はきっとあったのに。ポエムだからこそミステリーで、雄弁で、1万年後の人々ともコミュニケーションができる。 インスタントなわかりやすさと対極にあるもの。 私も土偶みたいなものを作って時を越えたい。 縄文文化が発生したのには様々な地理的な条件が背景になっている。4つのプレートに囲まれ、暖流と寒流の交わる場所でもある日本列島には、豊かな自然の恵みがあった。余剰生産の蓄えなしに、狩りと採集で定住生活をしたという点は世界的に珍しい。しかし自然は与えるものでもあり奪うものでもある。災害考古学という分野でも、縄文時代に起こった地震や津波の痕跡がわかる。自然が神であり大きな敵でもあったから、人間同士で争わず平和な時代が時代が1万年以上も続いたのではないか? などと皆さんと推測しあった。宇宙人が侵攻してきたことによって地球で一致団結するSFみたいに。 「書かさる」「歩かさる」「おささらない」のような、〜さる、さらないという北海道弁には、中動態的なニュアンスがある。そうしようとしていないのに、そうなってしまうという言葉。行為の主体と責任がはっきりせず、自分が半分自然のものだと言ってるような感じを受ける。縄文時代の自然とともに生きる価値観にも通じると思った。弥生時代がぜんぜんこなかった北海道。北海道には、まだ縄文の空気が少し残っている気がする。 トークイベントのあと、100年ぶりに美容室に行った。ずっと自分で切っていたのでベースがぐちゃぐちゃになっていた。髪を切ってもらえばすっきりするだけでなく、自己肯定感も上がるだろう。新規陽性者数もかなり減ってきたいまがチャンスと思い、勇気を出して行ったのに、少しいやなことがあった。かなり落ち込み、帰ってきてからシャワーを浴びて、ぐっと眠った。早く忘れたい。 忘れてきた。 気を取り直してご機嫌で充実した夜にしたい。 滞っているものが多くて焦りが大きい。そろそろまた自分とビデオ通話しよう……。

痕跡

10月16日(土) 銀座線渋谷行の車内で、原民喜の「廃墟から」を読む。 民喜は1905年、日露戦争で日本が勝った年に生まれた。民喜という名前は、戦争に勝って、民が喜ぶという意味なのだと、民喜の兄は憶えている。 民喜の父は、陸海軍・官庁用達の軍服や制服などの製造卸を営む原商店を創業。 「ぼくの家はね、戦争成金なんだよ」「工員を搾取して、ぼくらのうのうとして来たんだ」と首を横に振った民喜少年は、40歳になった1945年8月6日、爆心地から1.2kmの生家で被災。「このことを書きのこさねばならない」と記録した「原爆被災時のノート」をもとに「草の花」(原題「原子爆弾」)を書いた。6年後、遺書17通を残して自死。遺書を読んだ遠藤周作は「貴方の死は何てきれいなんだ」と日記に書いた。 銀座線渋谷駅の改札を抜け、真っ白い通路を心許なく道なりに歩く。マークシティ内の井の頭線改札が見えて、目的地渋谷に着いたと安堵。 SHIBUYA109の広告は、iPhone13。ポッカリと空いた土地に、建設中の工事が進む。 待ち合わせ場所に、I先生はうしろから現れた。 ようやく実現したランチ。先生と初めてご飯を食べる。ピンセットで一文字ずつ拾うように戦後文学を読んできたI先生の冗談と可笑しな話の合間に、「麗しいディスタンス」やスペイン語が突然入り込んでくる。「先生なんて嫌いなんだ」という先生が好き。 アップリンク渋谷に続く道をひとり歩く。 キッチン・タベラがあった窓に貼られているテナント募集の文字を直視できず、iphoneカメラ越しに眺める。 新大久保の文化センター・アリラン図書室で、資料を探す。 下の階の高麗博物館で、企画展「子どもの絵手紙交流展」と「ヘイトスピーチを許さない」を見る。 羊をめぐる旅をしている遠藤薫ちゃんから連絡が入り、急遽羊のお店で会うことに。 先週末、南三陸で復興支援に羊を飼い始めた人に会った。ちょうど行ったお店に羊飼さんが在店中で、一緒に羊の話をうかがう。 ジンギスカン鍋は、鉄のヘルメットを鉄板代わりにしたからドーム型なのだと知る。日中、日露戦争の時代に、満洲でうまれたアイデアの継承。

永遠に楽しい

朝、ピンクピン太郎と一緒に谷川俊太郎さんの詩集を読む。 「ぱん」という詩が好き。 "わたしはぱんです むかし わたしは こむぎでした おひさまが かがやいていました あおぞらが ひろがっていました そよかぜが ふいていました" これはパンの記憶だ。泣きそうになる。 デザイン上、ノンブルが入っていないページがあって、そこに全部数字を書き入れてくれた。 午後。パレットについた絵の具を洗いながら、小学生のときのことを考えた。図工の時間のおわりに水道の前に列ができたこと。 洗っても洗っても真っ白にはならないからどこかで諦めるのに、ゆきこちゃんのパレットはいつも新品のようにきれいだった。自分の雑な性格をみじめに思った。 でも今日、大人として真剣に洗ってもパレットの汚れは完全には落ちなかった。 なんやねん。 週末のトークイベントの打ち合わせ。登壇者は3〜4人いて、私だけがリモート。わたしだけスクリーンの中に顔が映される。デスゲームの主催者みたいな感じで参加することになる。 でもありがたい……。じゃあこの人呼ばなくていいや、とならず、わざわざリモートの準備をしていただけたことが心からありがたい。 夕食は力尽きてハヤシライス。10分くらいでできるから助かるけど、夫はあまり好きじゃないのもわかってる。ハヤシライスに花椒油をかけて、これならおいしいと言って食べていた。さすがに合わんやろ。なんでも麻か辣にする四川マインド。 義理の両親は3週間のホテル隔離を経て昨日やっと自宅に帰ることができた。リモートの画面にでかつてないほどほっとした表情が映っていた。地元ではもう誰もマスクをしていないらしい。 2019年のシンガポール旅行の写真を見た。いまから見るとありえないような距離と密度で人々が交流している。プールや屋台や寺院でひしめきあう人の映像をみて、ひゃ、と思う。今ではむずかしい光景だね、このとき行っておいてよかったね、と言った。 でも「このとき行っておいてよかったね」って不思議な感覚だなと思った。 仕事や勉強や用事とか、わかりやすい利益や学びがあるものなら「やっておいてよかった」と言うのもわかる。でも純粋なたのしい思い出に対して「やっておいてよかった」って思うのって、どういうことだろう。でも、たしかに思う。 「楽しい」は現在だけのものではないってことなのではないか。 過去に楽しかった時間は、今後もずっと楽しい。だから楽しいことをしておいてよかった。 そしていまは、今日締め切りの原稿を提出した直後の爽快感の只中にいる。 今週もお疲れ様でした。

つじつまの合う物語

来月、海軍特別年少兵として駆逐艦「雪風」に乗った西崎信夫さんのお話を聞く会があると知り、メールで参加申し込みをした。 一時間後、主催の方から年齢と心意気を聞かれた。 会場での参加人数に制限があり、若い人に聞いてほしいという西崎さんの願いから、全体の様子がわかってから参加受付の返信をしたいとのこと。 ぜひ若い人を優先してほしい。願わくば33歳も若い人枠に入ってほしいと祈りつつ、心意気も記す。 戦争を知らない世代が、日記を通して戦争を知ること。 15歳で出征した西崎さんが、当時日記を書き綴っていたことで、80年近く前の出来事でも細部に至るまで、ありありと語ることができるという点に関心があります。 10分後、回答がきた。 年齢は十分お若いです。 まもなく95歳になる西崎さんは、今も日記を欠かさず書かれています。 ますます会場でお話を伺いたいという思いを強くする。 テレワーク終了後、取材を受ける。 待ち合わせの喫茶店で着席すると、すでに同じフロアで記者さんは準備をしていた。テーブルの上には、付箋のついた「マーシャル、父の戦場」と「なぜ戦争をえがくのか」、原田豊秋さんのご家族と勉さんが対面した毎日新聞の記事。 こんな風景を目にすることができるなんて、なんてしあわせで、ありがたいことなんだろうと思う。 本を読んで、映画を見たいとご連絡をくださったのはおととい。急ぎお送りした映画2本も観てくださっていたから、とても話がしやすかった。 「しかし、このみずき書林さんの熱量、本当にすごいですね。「マーシャル、父の戦場」もこんなにたくさんの人がいて…」 はい。みずき書林の岡田林太郎さんとの出会いがあって、この本があります。 改札で記者さんと別れ、西崎信夫さんの著書「「雪風」に乗った少年」を書店で探す。 検索機で検索をかけると、在庫切れ。本はよほどの急ぎでない限り、版元や応援している書店のオンラインショップ以外は実店舗の書店で買うと、この夏の書店イベントを通して決めた。 「なぜ戦争をえがくのか」を戦争コーナーで見つけ、何か買って帰ろうと店内を徘徊する。 去年の今頃、大林監督の本が立て続けに2冊出たときに買った映画コーナーの前に立つと、見たことのない分厚い本と目が合う。 「大林宣彦メモリーズ」2021年4月発売。 4月は新しいことを3つ同時に始めた月だ。迂闊だった。 尾道の海を背に、カメラを持つ監督の表紙を眺めながら帰宅。 三上喜孝先生はもうとっくに読まれているだろうと思いながら郵便受けを開けると、三上先生からの郵便物が入っている。映画的。 去年大反響で幕を閉じた企画展「性差の日本史」が新書版として帰ってきました。 無署名ですが、第一章の一部を書いています。 私がもらっていいものなのかと戸惑いつつも、今、両手に、この二冊が並ぶことは必然。 「性差の日本史」エピローグ「ジェンダーを超えて」で、村木厚子さんは「歴史は変わる、変えられる」ということを勉強するのが大事ではないか、と述べている。 大林宣彦監督も、「映画で歴史を変えることはできないが、歴史の未来を変えることはできる。 歴史の未来とは戦争なんてない平和な世界。 それを皆さんが与えてくれた、すばらしい映画の力で手繰り寄せていきましょう」と述べている。 迂闊だった4月の自分を恨んだけれど、今日、つじつまがあった。 「人生とはつじつまの合う物語」 発売直後に「大林宣彦メモリーズ」を読まれていた三上先生が、大林監督から学んだ大切な言葉のひとつ、と教えてくれた。

細部

今日も雨。せっかく縄跳びを買ったのに跳べずにいる。昨日冷房をつけていたのに今日は暖房をつけた。 公園に行けないので、4時間ぐらいお絵かきをする。付き合いながら片耳にはイヤホン。芸人さんのラジオ番組や、山本太郎氏が東京8区から出馬を表明し辞退したいきさつについてのスピーチなどを聴く。 昼ごはんはエビ豆腐ナンプラー炒め、だいこんにんじんスープ、アンチョビキャベツ、手羽元クミン焼き。 朝ごはんにガーリックトマトパスタを食べたため、全然お腹が空いてなかった。 家族のなかでトマトパスタを食べたいのは私だけなので、一人で勝手に朝ごはんとして食べるしかタイミングがない。 午後も基本的にお絵かきだった。 こんなに毎日お絵かきに付き合っていたら私も画力が上がるんじゃないか、という下心がずっとある。主人公が美術の道を志す漫画『ブルー・ピリオド』を読んだ影響もあり、なんとなくデッサンに挑戦してみた。難しすぎて一瞬で挫折しそうになる。 夕食はゴーヤチャンプルー(沖縄の人は必ず「ゴーヤー」と伸ばすらしい)、グリルソーセージ(マスタードつき)、アンチョビキャベツの残り。 見逃し配信で『プロフェッショナル』を観る。よく知っている人形操演師の方の回。 形を決めるのではなく心で演じるということに気づいた……というお話が、人形操演にかかわらず演じるということに通じる大切なテーマだと思ったし、さらに演じることだけではなく表現することすべてに通じる内容でもあると感じた。 よく観察して細部に命を宿らせる。とにかく細部だった。 これから明日収録するラジオの台本を作成する。 今週の企画は何にしよう。思いついたらすぐメモするようにしているけれど、後から読み返してなんのことだかわからないメモが圧倒的に多い。 自分が信用できない。

10/12(火)雨のちくもり

午後休を取って、午後から取材を受ける。 6歳〜16歳まで、3つの教室に通った学習経験者としての体験談を話した。 幼少期を形成した習い事のひとつ。普段思い出さないことも思い出せて、楽しかった。 何より、初めてお会いしたライターと編集の方それぞれに、別々のところでつながった場所や人と深いつながりがあった。ひとつだけでもびっくりなのに、ダブルのミラクルな繋がりに、「引きが強いんですね」とライターさんに言われる。 寄り道して、帰りに改札内の本屋へ。 「世界を旅する」コーナーで目に留まった中谷美紀著「オーストリア滞在記」が、約3ヶ月の濃密に綴られた日記だった。どうしてタイトルを「日記」にしなかったんだろう。副題にも日記とあったら見つけやすいと思うのは少数派だろうか。 文具コーナーは10月始まりの手帳や日記が装い新たに陳列していた。 帰宅後、「新潮」創る人52人の2020コロナ禍日記リレーで、10月12日の日記を探して読む。 十月十二日(月)くもり 2時に目が覚めて、そのまま眠れなくなる。4時に起き上がり、仕事をする。 昼過ぎに本当にとてつもなく久しぶりに、友達が家にきた。誰かが自分の部屋にいることなんて何か月ぶりだろうかと思う。直接人と会えたことが本当にうれしい。 友達が帰ったあと、晩ご飯にサラダを食べて、仕事をし、1時ごろ眠った。すごく幸せな日。 コンビニで働いている(過去形かも)小説家の日記だとわかり、興味深く一週間の日記を読む。はじめて小説を読んだ時の衝撃は忘れられない。 だいたい「0時に目覚めて」、「23時くらいに寝てしまった」と日記に綴る生活では「目の前が真っ白になって倒れることがよくあるので」「吐き気と眩暈がする。けれど、仕事をちゃんと進めている時はいつものことだと思った」など、身体が発するレッドカードのオンパレードで心配になる。 「ハニーランド 永遠の谷」を途中まで見て、お風呂に入る。 どう終わるのか気になって仕方ないから、明日早いけど見てから眠る。 昨日から携帯のロック画面をクリームにした。明日もクリームにパワーをもらおう。

縦になりたい

地球の重力をずしんと感じる日。 昨夜からの寝ても治らない頭痛、胃痛、生理痛、倦怠感。縦になれない。 午後から少し復活する。3歳児と一緒に手作り絵本を量産する。 「あんパんまんのえほん」「ぴんぽんのえほん」「ぶぶーのえほん」「たすのほん」「ひくのほん」……同じA4のコピー用紙1枚でも、折り目をつけて冊子の形にするだけで、いつものお絵かきと全然違う遊び方になる。ページをめくるとどんどん時間が経過していく、物語が進んでいくということを、3歳でももうわかっている。明日一緒にこの出版社に名前をつけよう。 もうだめだめな日なので観念して夜はピザをとった。 サービスでついてきたグァバジュースの缶を見て、マーシャルの上映会の夜を思い出す。 今日の東京の新型コロナ陽性者数は49人。3日連続で今年最少、50人を下回るのは1年4ヶ月ぶりとのこと。ほんの1、2ヶ月前とは全く状況が違う。どうかどうかこのまま収まってくれますように。保健所の人々がもう泣かされませんように。若者の青春の時計の針が動き出しますように。

新しい形のお墓参り

大叔父の一周忌と曽祖母の四十三回忌。 母が古いアルバムからポートレート写真を取り出し、遺影にした写真を見て「おばあちゃん」と呼んだのを聞いて、そうか、このおばあちゃんは私の曽祖母なのかと気づく。 母方の祖母は、私が生まれる前に他界しているから、母方の先祖の歴史を聞く機会が今までなかった。晩年、祖母の兄である大叔父に、戦争体験や昔の話を聴く過程で、登米に故郷があることを知った。一周忌を前に、大叔父に頼まれていた墓じまいを昨日無事に終えられてよかった。 お経とお墓参りで20分足らず。 歴史あるお寺が提唱する新しい形のお墓は、快適な空間でインスタントにお墓参りができることが売りだけれど、それにしても呆気ないなと最初はなかなか慣れなかった。 いつ行っても綺麗なお花が飾られていて、冷暖房完備でお茶もセルフで飲める。(コロナ禍はお茶のサーバーは使用禁止)受付番号が呼ばれたら、お焼香をあげ、扉を押すボタンに触れる以外、非接触ですべてが終わるお墓参りは、感染症の世の中で今後より受け入れられるのかもしれない。 曽祖母の戒名が大叔父より長いのは、日蓮宗だから。 次男の大叔父は、このお寺のお墓を自分で買ったから浄土真宗になった。 戒名といえば、生前、戒名を自分でつくってこの世を去った祖父の話で懐かしむ。 祖父が気に入って選んだ戒名には使わない漢字があるとか、なんとか、色々と受け入れられない理由を言われてお坊さんと大揉めした。結局、どうしたんだっけ?故人の遺言なのでと祖父の希望通りの戒名で通し、お金は支払い、なんとか丸くおさめたんだっけ?7年前のことを叔父も母もよく憶えていない。 お坊さんの説法を聞くのが好き。 でも、あんまりここのお寺のお坊さんは、話が上手じゃない。 今日のお坊さんの話で分かったこと。 阿弥陀さまは、誰ひとり見捨てない。 河北新報の速報。 仙台で一人感染、市外ではゼロ。 激減の理由を知りたい。

タイムマシンを持ってる

朝、公園に行くも雨に降られて帰宅。すぐに上がってそのあと全く降らなかったのが悔しい。5分前の自分に伝えたかった。 楽しみにしていた『サマータイムマシン・ハズ・ゴーン』を観る。時間オムニバスドラマ3本。タイムトラベル作品は人生や運命の話を避けて通れない。「タイムマシンにはじまりはない」という言葉がよかった。ある日突然現れたりしないかたちのないタイムマシンを、人は皆すでに持っているのかもしれない。 昼は数時間前に電気鍋に入れておいたカレー。これもタイムマシン。 「夜空と交差する森の映画祭」のトークイベントに去年に続いて登壇する。キーワードは映画と記憶と日記。日記が登場するタイムトラベル映画や、人生の記憶に深く結びついている映画について話した。言葉にならないものを観たあとに、言葉にしようと試みた作品が記憶に残りやすい。誰に見せるでもなくても、映画の感想を書くということは得たエネルギーを自分のものに変換することでもある。サトウさんが映画の感想をどう書くかの話で、点と点とか変換とか拡張子とかいう単語を使っていたのが、らしくてよかった。 ここのところずっと胃痛と胃もたれを感じる。その不快感が常にあって、疲れやすいし、余裕がなくなるとすぐいらいらしてしまう。お酒とか辛いものがきっかけに荒れたのかなと推測。緊張したりストレスを感じるとさらに痛むので、よく言う「胃がきりきりする」ってこういう感じか〜と思う。休憩。 昨日、自分とZoom会議をした。録画しながらいま考えていることを全てカメラに向かって話し、再生しながら他人事のようにアドバイスをしてみた。かなり元気が出たし、完全にタイムトラベルだった。 友人に話したりもするけれど、愚痴のようなものも多いので、それを思う存分ぶつけるのは申し訳ないと思う。また、プロのカウンセリングなども結局は本人が気づくことが大事なのだから、自分で傾聴し自分で客観的に答えるのも悪くない方法なのでは、と考えた。タイムトラベル作品では自分が自分と話すのは珍しいことではない。 相手は自分なのに、傷つかないように妙に言葉を選んだりしてる自分がおかしかった。 金曜日に書きたかったエッセイがまだ書けていないまま、土曜日が終わろうとしている。タイムマシンはどこ。

墓じまい

10/8(金) 昨夜の東京震度5強の地震で、全室の両窓が10cmほどずつ開いていた。窓を閉めて寝たはずなのに、どおりで寒いわけだ。 墓じまいのため、年休を取り、母方の故郷、登米へ。 よりによってのタイミングとなってしまったけれど、日曜日の一周忌の法要前にもすませておきたかったよう。 登米にゆかりがあると知ったのは3年前。「おかえりモネ」の舞台で、今や全国区の名前になった。 東日本大震災の二日前にも、大きな地震があった。 3.11を経験していない私には、阪神淡路大震災を名古屋で体験した時と同じくらいの恐怖を感じた。 洗面所で、お風呂上がりにドライヤーを手に取ろうとしていた時だった。ガタガタと鏡が揺れる音で地震?と思った時には、身体も横に揺れていた。 玄関の前でしゃがみ、廊下で母と肩を寄せ合い揺れがおさまるのを待った。まだ揺れてる。長い。 ウィウィーン!ウィウィーン! 周辺の何百の携帯に入る地震速報が、一斉に鳴っている。 パリンと何かが割れた。キャンドルスタンドが本棚から勢いよく落ちるのを見た。動けない。玄関の戸を開けると、叫び声。ああ、どうか火災が発生しませんように。 携帯でメッセージを打つ手が震えている。 よりによって、夕方突然テレビが壊れたからニュースが見れない。13年生きたら寿命か。Wi-Fiが一瞬不安定になったけど、無事だった。テレビの代わりに、Twitterで情報を得る。明日の洋服を足もとに備え、スニーカーを玄関に出して眠る。 朝食を食べながら、原田豊秋さんが関東大震災を経験していた話を思い出した。 東京の映画館で映画を見ていた豊秋さん。突然の激しい揺れに、大慌ててで劇場を飛び出し、逃げて帰ってきた話をお孫さんが憶えていた。 新幹線の混み具合は、1/4ほど。 登米の前に、レンタカーで震災遺構となった大川小へ。駐車場に止まる4台のうち3台がレンタカー。 3年前訪れたときにはなかった伝承館が、小学校の前にある。最終入館16:30の文字。今の時刻は16:28。 何も知らずにきたけれど、間に合ってよかった。 大川小訴訟事故について、控訴審判決と書かれたパネル。 60ページを超える来館者用の冊子は、PDFでも読めるようになっている。 揺れた時間は3分。長い。昨日の地震の倍くらいだろうか。どれほど怖かっただろう。 どこからか聴こえる鳴き声を探し求め、空を見上げた。 白鳥の群れが海に向かう。 賑やかだった街の静けさに、響く、声なき声。 登米までの道で、新車の匂いで車酔いと頭痛。 夜ご飯をひと口食べてもどす。 ロキソニンが効いて、30分後に頭痛が治る。 早めに布団に入り、翌朝に備える。